豪田トモ「辛い出来事があっても、少しでも前向きになるために」 〜命と家族について考えよう Vol.4〜

「子どもは親を選んで生まれてくる」という胎内記憶をモチーフに、4組の夫婦の物語を通して「自分たちが生まれてきた意味」や「家族の絆」「命の大切さ」「人とのつながり」を考えさせられるドキュメンタリー映画『うまれる』。シリーズ2作目『ずっと、いっしょ。』に続き、3作目に向けて動き出した豪田トモ監督は、現在、保育園に通う娘の育児に積極的に関わっている。そんな豪田監督に、ご自身の出産・育児経験も含めて、「命」や「家族」について語っていただきました。

第4回目となる今回は、前回に続き、胎内記憶についてのお話です。妊娠・出産・育児などで辛い出来事があったときに、少しでも前向きに生きるための発想の転換方法についてです。

赤ちゃんが、親を選ぶ理由は3つ

『うまれる』シリーズを観て、わが子が自分たちを選んで生まれてきてくれたのかもしれないと考えると、育児のモチベーションが上がったという人がたくさんいらっしゃいます。もし、そうであるなら、親にとっては、これ以上ないくらい、嬉しくてありがたいことですよね。

「こんな私でも選んできてくれたんだ」と思う人も多いことでしょう。せっかく、選んで生まれてきてくれたのだから、「もうちょっと育児を頑張ろう」とか、「親として自分を磨いていこう」と思うことができるのです。子どもを育てていると、なかなか泣きやまなかったり、イヤイヤ期がやってきたり、思うようにいかないことがたくさんあると思いますが、ちょっと違う捉え方をしてみたり、考え方を変えることができるという意味で、胎内記憶の話というのは、ものすごくいいものだと僕は思います。

僕に胎内記憶のことを教えてくれた産婦人科医の池川明先生と、ある日、話をさせていただいた時のことです。先生自身が明確に言ったわけではないのですが、話を聞いていて、「子どもが親を選ぶ理由」には、大きく分けて3つあるんだろうな、と感じました。

1つ目は、一番多い理由なのですが、「楽しそうだから」というもの。「あそこのお家に行ったら、人生が楽しくなりそうだ」といった理由です。

2つ目が、「パパとママの役に立てそうだ」というもの。これは、特に、夫婦仲が微妙な夫婦のところに自分が行って、自分が潤滑油となって夫婦仲を良くしてあげようといった理由です。

そして、最後の3つ目が、「魂の成長のため」。 どういうものかと言うと、例えば、「虐待」だったり「貧困」だったり、「戦争」「障がい」などなど……。子どもが親を選んでくるのに、わざわざ選んでくるには、あまりに辛いだろうと思われるところを、敢えて選んで生まれてくる子どもたちがいるというのは、この3つ目の理由で、ある程度、説明がつくのかもしれません。

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魂の成長のために生まれるということ

親から、酷い虐待を受ける子どもがいるとします。その子は、自分が敢えて虐待を受けることで、親が「こういうことをしてはいけないんだ」という、大きな学びになることもあるのだと、池川先生はおっしゃっています。 子どもが障がいを持って生まれたことで、親は大変だけれども、そこから何か大きなものを学びとることもできる。子ども自身も親と一緒に成長できるのだそうです。思わず、「わざわざ困難な人生を選んでくる魂って、すごいですね」と僕が言うと、池川先生はこう言いました。

「そういった理由で生まれてきた子どもたちというのは、本当に高貴な魂の持ち主なんですよ」と。

そこまで話が進むと、ちょっとスピリチュアルな印象が強くなってきましたが(笑)、僕は「なるほどな」と、妙に納得する部分もありました。積極的に自分で選ぶはずのない辛い人生を敢えて選ぶというのは、ものすごい自己犠牲の強い精神と言うか……、魂的にすごいことではないのだろうかと思いました。

子どもが障がいや病気を抱えて生まれくると、親は、自分を責めてしまいがちです。しかし、敢えて、赤ちゃんがそういう人生を選択し、親と一緒に何かを学ぼうとしているのかもしれないといった捉え方をしたり、考え方を変えてみると、子どもと一緒に生きている時間の意味が大きく変わってくるのではないか、と僕は思うんです。

そう考えたときに、僕自身も、救われたようなことがあったと感じています。なぜなら、僕自身、この3つ目の理由でこの世に生まれてきたような気がするからです。 激しい虐待を受けてきた方などに比べれば、「親から愛されなかった」という僕の苦しみなどは、ぜんぜん軽いものかもしれません。でも、苦しみというのは人それぞれであって、どれだけ苦しいのかといったことは、当人にしかわかりません。

胎内記憶に関する調査を続けている池川先生の話では、

胎内記憶について話す子どもの割合というのは、3歳前後の子どもでだいたい30%くらいだそうです。僕もいろんな方々に胎内記憶の話を聞いたりしているのですが、そんなものなのかな、という感じがしています。

ちなみに、我が家の娘にも、どんな理由で僕たち夫婦を選んで生まれてきたのか聞いてみたいと思っていたのですが、僕が知らないところで、奥さんがうっかり聞いてしまったようです(笑)。

奥さんによれば、娘が選んだ理由は、「ママが可愛かったから」と、言ったとか言わなかったとか(笑)。これはもう、無理やり言わせたのではないかという感じもしますが(笑)、僕の知らないところで聞いてしまったことで、僕は一生の傷を負ってしまったかも!?

とはいえ、奥さんはとっても嬉しそうだったので、それはそれで良かったのかな、と思うようにしています(笑)。

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少しでも前向きになるために

このように、「子どもが親を選んでくる」という発想をする。そして、自分の生き方について、捉え方や考え方を変えてみると、少し前向きになれるのではないかと僕は思います。

離婚なんかでもそうですよね。離婚してしまったのは相手のせいとばかり考えたり、後ろ向きに悔やんでばかりでは、辛いばかりです。もしかしたら、離婚したことによって、新しい人生が開けることもあれば、新しい出会いがあるかもしれない。

家族の死、特に流産や死産を経験された方の場合ですと、子どもが「もともと、途中で空に帰るんだ」ということを決めてママのところへやってきた、と捉えることもできます。 もちろん、悲しみが消えることはないと思いますが、「ママはとても悲しいかもしれないけれど、私は予定通りですよ」と言っているかもしれないと考えることができると、少しは救われるのかもしれません。

実は、私の妻も2回ほど流産を経験しているのですが、その妊娠中に、妻が若い頃から患っていて、一生、完治することはないと言われていた難病の「潰瘍性大腸炎」が治ったのです。

結局、流産はしてしまったのですが、子どもは、生まれてくるのが目的だったのではなく、“ママの病気を治す”ためにやってきてくれたんじゃないかと、捉えることにしました。 あるいは、もしかしたら、神様みたいな存在に、「そんなに長くはいられないよ」と言われていたけれど、それでも「一瞬だけでもいいから、パパとママに逢いたい!」と思ってやってきてくれたのかもしれない、とか……。そう考えてみると、悲しい出来事もずいぶん、違った話になりますよね。

これは、私たち夫婦の場合の話ですが、こんなふうに、捉え方を変えてみると、どんなに辛い出来事でも、少しは和らげることができるかもしれないし、前向きになれるものだと思います。

「生まれてくることができなかった」のではなく、「生まれてこれなかったけれど、ママに逢いたいから来てくれた」と考えてみると、悲しみが癒える度合いも変わってくるかもしれません。もちろん、悲しいことは悲しいのです。でも、少しだけ救われるというか、ね。

そして、僕ら夫婦は、二度の流産という辛い出来事を何とか乗り越えることができました。

捉え方の選択肢を多く持っておくことが大切

映画『うまれる』を通して、たくさんのご家族とお会いしてきました。子どもを授かることができなかった人、流産や死産を経験した人、生まれてきた子どもが障がいを持って生まれてきた、あるいは、いつまで生きられるかわからない難病を抱えて生まれてきた人などなど……。

妊娠・出産には、その大きな喜びの裏側に、何倍もの大きな辛さや悲しみが潜んでいると言えます。だからこそ、もし、自分がそういった辛さや悲しみに出会ってしまったのであれば、少しだけでも前向きに生きていくために、ひとつの捉え方、考え方の選択肢を持っておくことを、僕はオススメしたいと思います。

僕には、4つ下の弟がいますが、障がい者手帳を持つほどではないものの、身体が弱く、小さい頃は、何度も手術のために入退院を繰り返してきました。そうなると、母親というのは、どうしても「自分が悪い」と思ってしまうんです。自分がわが子を五体満足に産むことができなかったと、自分を自分で責めてしまうのです。

もちろん、僕の母親も自分を責め続けていて、とても辛そうでした。当時、子どもだった僕にも、母が自分を責めていることが伝わっていました。

でも、弟が生まれたときに、こういった捉え方の選択肢を持っていたのなら、その後の母親の人生は変わっていたのかもしれないと思うんです。例えば、「この子は今回、一緒に修行するために、わかって産まれてきたんだ」

と思うことができていたのなら、僕の母親はもっと楽に、あるいは前向きに過ごすことができたんじゃないか、と思ったんですよね。 死に関してもそうですよね。人間にとっての一番の恐怖は“死”だと思いますが、「死んだら終わり」と考えるのか、「死んだ先に別の世界がある」と考えるのかで、大きく変わってきます。まったく、科学では証明できるものではありませんが、最期を迎えるときに、もしかしたら、先に逝ってしまった家族や友人に逢えるのかもしれないと考えることによって、少し、恐怖から救われる……。

こういった多くのことを、僕は胎内記憶から学ぶことができました。

この記事のキュレーター

映画監督・豪田トモ(ごうだ とも)。1973年東京都生まれ。6年間のサラリーマン生活を経て、29歳でカナダのバンクーバーにわたり、4年間長年の夢だった映画製作の修行をする。帰国後、フリーランスの映像クリエイターとして、テレビ向けドキュメンタリーやプロモーション映像などを制作。2010年、「命の原点」を見つめて家族の絆や生きることを考えるドキュメンタリー映画『うまれる』が公開され、2014年、同シリーズ2作目となる『ずっと、いっしょ』も公開された。著書に『うまれる かけがえのない、あなたへ』(PHP出版)、『えらんでうまれてきたよ』(二見書房)がある。現在、6歳になる娘の父。映画『うまれる』公式サイト(http://www.umareru.jp/)

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