乳がんになっても、妊娠・出産をあきらめない

あきらめない心と行動力で自分らしく乳がんと向き合った女性のがんの治療、妊娠、出産までの体験談をご紹介します。

※この記事は2014年にルナルナサービス内で掲載し、ご好評だった記事を再掲載しています。

胸のしこりに気づいたその日に病院に行き、その2日後には乳がんを診断されたという赤坂さん。病気のことやリスクを知り、受け入れた上で信じたのは“自分の体の治癒力”でした。

あきらめない強い心と「悩む前に動く」という行動力で、女性としての可能性をあきらめずに生きる道を選び、進んできた彼女のそばには、いつでも彼女を理解し支えてくれたご主人の存在がありました。

今、二人三脚で初めての育児に奮闘中の赤坂さんに、がんの治療、妊娠・出産までの道のりを語っていただきました。

「もしかして」と思ってから3日で「乳がん」の告知

私が乳がんの告知を受けたのは、29歳になってすぐのころ。住宅設計の仕事が多忙を極め、疲れてお休みをいただいていた最中のことでした。

何気なく触れた右の胸に大きなしこりがあることに気づき、嫌な予感がしました。というのも、その少し前に、偶然テレビで「余命1カ月の花嫁」のドキュメンタリーを見て、「こんなに若くてもがんで亡くなる人がいるんだな」と思ったからです。

「私はがんかもしれない」と頭によぎり、その日のうちに近くで診断のできる病院を探し、超音波検査を受けました。検査の結果、「悪性の可能性は50%だけれど、良性だとしても腫瘍が大きいので取ってしまいましょう」と言われ、その言葉に違和感をおぼえた私はセカンドオピニオンを選択。翌日別の大きな病院で詳しい検査をしたところ、検査翌日には乳がんと告知されました。

告知された瞬間は、「やっぱり乳がんだった。これから私はどうなるんだろう」と不安でしたが、次の瞬間には「がんは不治の病ではなく、早期に発見・治療をすれば完治する人も多くいるから大丈夫」と自分に言い聞かせていました。仕事などで精神的に行き詰まっていた私にとっては、今本気で取り組まなければならない「乳がんの治療」という現実が、人生を前向きに考え直すきっかけとなったのです。

主治医のすすめではじめに受けたのは「右乳房温存手術」。温存手術というのだから、「目立たない傷が残るぐらいで、あまり変わらない」と思っていたのですが、いざ手術が終わって、右の胸を見ると、ふくらみはほとんどなく、真一文字に大きな傷。想像していた「温存」とは全く違いました。

温存手術とは、がんが存在する部分の乳房組織だけを摘出する方法ですが、どれくらいふくらみを残せるかは、がんの大きさや状態によっても違います。でも当時の私は、温存手術がどういった手術方法なのか、たとえ乳房を全摘出しても再建する方法があるということなども、知りませんでした。突然のがん告知で気持ちが張りつめていたせいか、手術前の説明の途中で気を失い、術後の傷跡や乳房の状態を写真で確認しなかったのも、イメージがずれてしまった原因でしょう。

「胸がなくなっちゃって、下着どうしよう」。
退院後にいつも行く下着屋さんに行ったのですが、それまでフィッティングしてくれていた店員さんが、私の右胸を見たとたん、どうしていいかわからずそそくさと出ていってしまったのを見て、途方に暮れてしまいました。

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彼に支えられながらも迎えた思いがけない展開

手術後は抗がん剤治療と放射線治療を受けました。手術後にどんな治療をするかは、手術をして組織を調べてみなければ決まりません。手術前の時点で私は、自分がこうした治療を受けることになるとは夢にも思わなかったため、覚悟ができていませんでした。いざ、抗がん剤治療をしなければならないと聞いて、女性として大切な胸だけでなく、髪も失うのが怖かった。

そんな私を支えてくれたのが、当時つきあっていた彼(今の夫)です。乳がんになる以前から、一級建築士の資格を取ったら結婚しようと話していて、乳がんの告知を受けた時も、手術をした時も、彼はいつも私のそばで支えてくれていました。

抗がん剤治療を始める前に、髪を短く切ってくるように主治医に言われたものの、結婚式の日のためにと腰まで伸ばしていた髪を切ることができず、治療に前向きになれなかった私を、彼は沖縄旅行に連れて行ってくれました。

旅行中、私がピンキーリングを砂浜で落とすというハプニングが発生。しばらくしてから気づいたので、もうみつからないのではと思ったのですが、二人で探しに行ったら、奇跡的に見つかったのです。「こんなに広い砂浜でこんなに小さなリングが見つかったんだから、きっと奇跡は起きるよね」と話し、私の気持ちは少し前向きになっていました。

旅行から戻り抗がん剤治療を始めると、まず髪が脱毛、そして2カ月後には、生理が止まりました。一時的なことと言われていたので、あまり心配はしていませんでしたが、その1年半後、産婦人科医から「完全閉経しています。妊娠・出産は望めません」との言葉が。乳がんの抗がん剤治療で若い女性が完全に閉経することはないと聞いていたのに、どうして私が、と信じられませんでした。

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自分はどう生きたいのか、はっきり意志を持つことが扉を開く

乳がんの治療は一通り終わったものの、私は31歳にして乳房と生理という女性らしさの象徴を失いました。当初は予想していなかった展開。でも、決してこのままあきらめたくない。ふつうの女性と同じように生きたい。

私は、それまで勤めていたハウスメーカーを退職し、乳がん・婦人科がんの術後の方向けの下着を作っている会社に転職。「同じ悩みを持つ女性の力になりたい」と思い、医療現場で術後下着の必要性を説明したり、患者さんの悩みを聞いたりという仕事をするようになりました。仕事を通じて乳がんについても勉強し、知識を得ておくことの大切さを知りました。

乳腺科の先生から閉経の治療について、「治療にはがんが再発するリスクがあるからやめたほうがいい」と言われていました。でも、これから結婚して、子どもが大好きな彼のためにも妊娠・出産したいと思っていた私は、絶対に生理を戻したいという強い思いがありました。

再発のリスクがあると言っても、私がこの先、本当に再発するのかどうかは誰にもわからない。「確率もわからないようなぼんやりとしたリスクなら、私は生理を戻せる可能性に賭ける」と、自分から意思を示し、治療を始めました。彼は「子どもができなくてもいい。俺ら2人だけでいい」と言ってくれましたし、両親にも、「子どもはなくても幸せに暮らしている夫婦はたくさんいる」と言われましたが、私の決意が固いことを知り、理解してくれました。

乳がんにはいくつかのタイプがあります。女性ホルモンによってがん細胞が増えたり、活発になったりするタイプの場合、不妊治療などでホルモン補充療法を受けたりすると、再発のリスクが高まると言われています。でも、私の場合はトリプルネガティブといって、女性ホルモンの影響を受けにくいタイプだったため、そのことも治療を選択する後押しをしてくれたと思っています。

検査の数値では「絶対に生理は戻らない」という状態だったのですが、私は「絶対に戻る」と信じていました。強く思うことで、自分を支えていたのかもしれません。でも実際にホルモン補充治療を開始したら、幸いにもすぐに生理が戻りました。沖縄で起きると信じた「奇跡」が本当に起きたのだと思いました。

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リスクを知った上で始めた不妊治療

翌年に結婚。それを機に、不妊治療専門のクリニックに通うようになりました。奇跡的に生理は治療をしてすぐに戻りましたが、薬を服用し続けなければ生理は起こらず、また排卵していない無排卵月経であること、卵巣年齢50歳台という検査結果だったこともあり、自然妊娠は望めず不妊治療が必要でした。

最初に通っていたクリニックでは、乳がん再発のリスクを高める薬は使わないという先生の方針で、生理を起こす薬だけを使い、自然に排卵が起こるのを待ちました。病院と会社を行き来する忙しい生活を2年ほど続けましたが、治療もうまくいかず、排卵期になると毎日のように早退していて職場の同僚にも申し訳ないという気持ちから、「不妊治療は今しかできない」と思い切って退職。

すると、気兼ねなく治療に専念できるようになったおかげか、翌月に初めて排卵したのです。初めて排卵した卵を採卵し、顕微授精した後、受精卵をお腹に戻しました。その時は妊娠には至りませんでしたが、とても嬉しくて、「こんなに幸せな気持ちになれるなら、この先も頑張れる!」と思いました。

その後、早発閉経の人の不妊治療を専門的におこなっている病院に移りました。早発閉経の女性が妊娠・出産した例はほとんどなく、それまでに会った多くの産婦人科医から、「不妊治療をしても妊娠の可能性はない」と言われ続けていました。でも、担当してくださった先生は、「長い間閉経していたから」「再発のリスクがあるから」といったネガティブなことを言わず、「きっと妊娠できる!」と自信を持って治療にあたってくださったので、私もそんな先生を信じて、治療を続けることができました。

先生のノウハウを駆使し、再発リスクを避けるためにとこれまで使われなかった薬も使いながら、2年間毎日のように通院し、完全閉経告知から4年半を経て、とうとう妊娠することができたのです。

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無事生まれてきてくれた子に感謝!

妊娠できた時は嬉しすぎて信じられず、1週間ぐらいは何も手につかないほどでした。おなかが大きくなるにつれ、少しずつ実感がわいてきて、マタニティブックを見ながら「爪ができたころかな」とか「もう髪の毛が生えてくるんだ」などと思いながら過ごしました。

早発閉経患者の妊娠は、流産・早産なども多く、妊娠継続が非常に難しいと言われ、「トラブルに備えて」という先生のすすめで26週から入院し、出産までの2カ月半、24時間点滴を続ける管理入院をしました。先生の予想通り、甲状腺機能の低下、肝臓や腎臓、胎盤の機能も落ち母子共に危険な状態となったため、1カ月ほど早く緊急帝王切開での出産となりました。

妊娠した時からずっと、子どもが生まれてきたら絶対に感謝の気持ちを伝えたいと決めていました。やっと会えた私たちの大切な娘。顔を見てすぐに、「生まれてきてくれてありがとう」と伝えました。夫も泣いて喜んでくれました。

この子のためにも元気に楽しく生きることが一番の目標

私にとって、乳がんになったのは不運だったかもしれないけれど、不幸ではありませんでした。たくさんの困難はありましたが、妊娠・出産という夢を叶えることができ、今は幸せです。片方しか胸はなくても、ちゃんと母乳を飲ませることもできています。思い込んだら猪突猛進な私を理解し、いつも必ずそばで支えてきてくれた夫をはじめ、両方の両親、先生方、周りで支えてくださった方たちに心から感謝しています。

妊娠するまでは妊娠が最大の目標、妊娠してからは無事に出産することが目標でしたが、出産した今は、子どものために「生きること」が目標です。産前は、もし再発しても、決して不妊治療を選んだ後悔はしないという思いがありました。でも今、私には子どもを育て成長を見守るという大きな役割があります。そして、万が一私が亡くなるようなことがあった時、絶対に子どもに母親の死を自分のせいだと思ってほしくはないし、そういう重荷を背負わせたくはありません。ですから、子どものためにも、とにかく健康に、楽しく、生きること。それが今のたったひとつの目標です。

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女性のみなさんへ

私自身もそうでしたが、多くの人は「自分が乳がんになるはずない」と思っています。でも、女性なら誰でも乳がんになる可能性はあります。早期発見のためにも、ふだんから自分の体の変化を意識したり、生理の後に胸に触れる(触診する)習慣をつけたりしておくことが大切だと思います。

乳がんになって、抗がん剤の治療をしたからといって、全ての人が閉経するわけではありません。もし閉経する可能性があるとしても、まずは「がんを治す」ことが最優先なので、命を守るために必要な治療は受けるべきだと私は思います。治療後に自然妊娠をしても再発しやすくなるとは考えられていません。また現在は、卵子を凍結保存したり、結婚している人なら受精卵を凍結保存しておいたりする方法もあるため、それで安心して治療に臨めるなら、そういう選択肢もあると思います。

ただし、凍結保存しておいても妊娠を約束されているわけではないですし、妊娠によってさまざまなリスクが生じる可能性もあります。私が妊娠を希望し不妊治療という選択ができたのは、トリプルネガティブというホルモンの影響を受けにくいタイプのがんだったということも大きかったと思っています。

もし乳がんになったら、まずは乳がんという病気をよく理解し、自分がどのようなタイプのがんなのか、どのような治療法があるのか、そして、治療に伴うリスクを知ってほしいと思います。一番大切なのは、乳がん治療の先、どのような人生を生きたいのかを考えること。リスクを踏まえ、自分自身で考え、選んだ結果であれば、その後の人生はきっと違います。

 

プロフィール:
赤坂友紀さん。ハウスメーカーでの設計職、医療下着会社での営業職を経て、現在はフリーの乳がん体験者コーディネーター。
一児の母として育児をしながら、乳がん体験された方や不妊に悩む方からの相談、講演会などの活動に従事。 各種メディアで自身の乳がん治療、不妊治療、妊娠・出産の体験を公開しています 。

取材協力:
NPO法人 女性医療ネットワーク マンマチアー委員会
私たちは女性の乳房と健康を守る応援団。乳がんに興味がある。自分や家族、友人が乳がんで悩んでいる…そんな方々へ向け無料セミナーを通して正しい情報を発信、提供しています。

 

この記事のキュレーター

生理日管理ツールの決定版「ルナルナ」が生理にまつわる悩みから妊活・妊娠・出産・育児までの困った!をサポートする情報をお届けします。


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