ご懐妊!! 第2話 二ヵ月

OLの佐波は、苦手な超イケメン鬼部長・一色とお酒の勢いで一夜を共にしてしまう。しかも後日、妊娠が判明!
迷った末、彼に打ち明けると「産め!結婚するぞ」と驚きのプロポーズ!?
仕事はデキるけどドSな一色をただの冷徹上司としか思っていなかったのに、家では優しい彼の意外な素顔に佐波は次第にときめいて…。
順序逆転の、運命の恋が今始まる!

妊娠二ヵ月(四~七週目)
胎芽(七週末)…二センチメートル、四グラム
子宮の大きさ…レモン一個分

この会社に転職して二年。風通しのいい社風、悪くないお給料、やり甲斐(がい)のある仕事。私は満足な日々を送っていた。

強いて言うなら、不満はひとつだけ……直属の上司が苦手ってことくらい。

不動産担当グループ部長、一色褝。みんなが『ゼンさん』って、愛と敬意を持って呼ぶ三十三歳。

見た目は、シンガーでも役者でもある四十代俳優に似た、すごいイケメンだ。目鼻立ちがはっきりしていて、眉は凛々(りり)しく男らしい。
真剣なとき、唇が薄く開いていることがあるんだけど、そのちょっと隙のある表情は眼福(がんぷく)ものだ。

この年で部長の役職なのは、社長の古い知り合いというのがひとつの理由。
とはいえ、彼が名ばかりの部長じゃないことは社内の共通認識である。

とにかく、めちゃくちゃ頭がキレる。
うちの不動産グループが大手の広告代理店と張り合えるくらい大きくなったのは、彼の業に他ならない。妥協しない仕事姿勢は、容易に周囲を巻き込む。

要は性格が鬼で、死ぬほど厳しいの!!たぶん彼は天然のSなのだ。

部下が一番苦しく、でも一番やり甲斐と達成感を覚えるギリギリのところを突いて追い込んでくる。

一般人は死ぬ気にならないと、彼の仕事ぶりに追いつけないんだけどね。

そういう上司なのに社内の人気は絶大で、先頭に立って結果を出すから、同僚は認め、部下は熱狂的についていく。

私は彼の狂信者ではない。彼に怒鳴られ、納期とクオリティの限界を求められ、毎日ハツカネズミみたいに必死に働いているだけ。

 

『遅い』
『こんなもん、クライアントに提出する気か』
『できないなら、即辞めろ!』

私がどれだけ必死でも、一色部長の当たりのキツさは変わらない。

えぇい、泣くもんか。負けるもんか。だって、こいつ以外はいい職場なんだもん!

そんな私と部長が同時に忙しくなったのは、九月末のことだった。

部長が丸友(まるとも)不動産の仕事を取ってきたのだ。

丸友不動産は通常、グループ会社にしか広告を任せない。そこに飛び込んで話をもぎ取ってきたのが、彼本人だった。

最初は小さな看板。丸友側の好評で次の仕事が来る。

それを繰り返しているうちに、物件丸ごとの広告依頼が来た。

ネット広告、看板、建築現場の覆い……かなりの規模の仕事になる。

他の仕事をすべて後輩社員の夢子ちゃんに回し、私は丸友の仕事にかかりきりになった。部長もそうだった。

ドアトゥドアで四十五分の家にも帰れず、近所の漫画喫茶でシャワーを浴びて仮眠を取る毎日。

部長とは丸友の仕事の話しかしない。互いにいたわりの言葉もなく、時折デスクに千円くらいの栄養ドリンクが置かれてあるのが唯一の気遣い。そういった日々が約一ヵ月経った頃、あの夜がやってきた。

その夜、すでに誰もいないオフィスで、私は自分のデスクにいた。最後の広告の納期。

部長が丸友本社で打ち合わせを終えて帰社するのを待っていたのだ。

時刻は二十三時。ようやく彼が帰ってきた。

『梅原、喜べ』
オフィスの戸口に立った部長は、私を見てニヤリと笑った。

『今日のデザインで通った。これで、丸友の案件はオールクリアだ!』

『マッ、マジですか!やったぁぁぁ!』
私はデスクから躍り上がる。

苦しかった一ヵ月が終わった!すさまじい開放感に、高々とこぶしを突き上げる。

『見ろ!』
部長は、両手にガサガサとコンビニのレジ袋を下げている。

『祝杯だ!』
中にはビールにワインにおつまみがたっぷり入っていた。

私と部長の唯一の共通点。それはお酒が大好きってことだ。

うちの部署は下戸が多くて、飲み会ではソフトドリンクか低アルコールのカクテルばかりが注文される。
そんな中で、部長は焼酎やウィスキーを注文するとき、必ずふたつ頼んでくれる。
『梅原にやっとけ』って。お酒という一点のみ、私たちは気が合う。

『なんですか、コンビニのワインですか?』

『他に店が開いてなかったんだから、しょうがないだろ。文句あるならやらんぞ』

『いえいえ、いただきます!祝杯挙げたいです!』

私たちはプラスチックのカップにビールを注いで、乾杯した。

ちょっと雑な性格の私はオフィスの床に座った。

普段かっちりしている部長まで、開放感から適当になっているのか、同じく床に腰を据えてピザまんやチーズをおつまみに酒盛りだ。

ふたりで飲むのは初めてだけど、このときの私たちはともに障害を乗り越えた一体感があった。

『よくやった!』という、お互いへの敬意とねぎらいの気持ちで、距離がぐっと縮まっていたように思う。

『あー、マジでしんどかったですけど、やりきりましたねー!』

『本当に、梅原には感謝してるぞ。よく付き合ってくれた』

『部長の口からそういう言葉が出ると、怖いんですけど』

いい気分でビールを平らげ、ワインを開ける。部長いわく、コンビニで一番高いワインらしい。それをふたりですいすいと、一本、二本、三本……。

とても楽しい気分で、いろいろな話をした。好きなお酒から始まり、学生時代に聴いていたアーティストとか、子どもの頃に観ていたアニメとか。
気づけば、ワインの瓶が五本くらい床に転がっていた。

『部長は惜しいなぁ~』
酔っぱらった私は調子に乗って言う。

『顔は好みなんだけどなぁ~。性格が悪すぎ!惜しいよなぁ~』

『どこが悪いんだよ!超いいやつだろ、俺はっ!』
同じく酔っぱらった部長が大きな声で返した。

『Sキャラすぎるんですよ!女子には怖いんですっ!』

『そんなふうに感じるおまえが卑屈なんだよ。……俺から見たら、おまえのほうが惜しい!』

『どこがですか?』
普段なら感じている上司への畏怖(いふ)などどこへやらで、私は詰め寄る。

『顔が惜しすぎる!性格や仕事ぶりは俺の好みなんだがな!あー、残念な女!』

『うっわ、言いましたね!これでも女優のさとみちゃんに似てるって言われたことあるのに!』

『唇の厚さだけじゃないのか?バカめ!』
大声で悪口を言い合い、ゲラゲラ笑った。

あー、こんなに楽しく話せる人だったんだぁ。新発見だ。

私が新しいワインを開けていると、部長が私をじっと見ている。

『なんですか?』

『髪の毛は……、好みだな。綺麗だ』

私は、ぎゃははっと豪快に笑って、頭を突き出した。

『触ってみます?』
彼が無邪気な顔で頷いた。そして、私の肩までの髪をよしよしするように撫(な)でる。

そして、そのままの流れで私たちはキスをした。
唇が離れ、そのあまりに優しい感触が嬉しかった私は、『もう一回』と笑った。

部長が私の身体を引き寄せ、今度は深くて熱いキスをする。
この人のキス、めちゃくちゃ気持ちいい。
私も彼の頭を手繰り寄せ、キスを深くする。そして、私たちは床に倒れ込んだ。

頭の隅ではいろいろなことがよぎった。
おいおい、この人は一色褝だぞー、苦手な上司だぞーとか。彼氏いるのになぁとか。あれ?生理終わって何日だっけ?などなど……。

でも、すぐにどうでもよくなった。お酒のせいもあったし、キスだけでこれほど気持ちいいなら、この人との先もしてみたい。……なんて思ってしまったわけ。
その夜のエッチは、私の経験した中では最高のものだった。それは間違いない。

当然といえば当然だけど、翌朝オフィスで目覚めたときの衝撃は半端なかった。
私たちは、そそくさと後片づけをして、何事もなかったかのように別れた。

翌週、オフィスで会ったときには、部長はいつもの鬼軍曹に戻っていた。

私は忘れることにした。
まぁ、一度くらいの間違い、大人ならあるかも……だよね。
それが、まさかこんなことになるなんて。

 

金曜日の夜、私は新(しん)宿(じゅく)駅の西口に立っていた。
十一月とはいえ、割と暖かい晩だ。病院に行ってから二日が経っていた。部長がシンガポールから帰るのは、まだ先になる。

一昨日(おととい)、病院で私が『妊娠』と告げられたとき、おじさん先生は言った。
『再来週にまた来てください』
『はぁ』
『心拍が確認できると思うから。母子手帳もらうなら、それからね』

どういうことだろうと思ってネットで検索する。
なるほどね、胎児の心拍が確認できると、初期流産のリスクがぐぐっと下がるんだ。
しかし私の頭の中で、間違いなく望んでいることがある。
このまま自然に流産になってくれないかな。

妊娠を望んでいる女性や、流産経験のある女性からしたら、私の思考は最低最悪だ。そんなのわかってる!だけど、ふと願ってしまう。このお腹の命が、なかったことになるなら。堕胎という罪を犯さずに済むなら……。

急にスマホが振動を始めた。涼也からメールだ。
【ごめん、あと少しで着く】

私は今までの煩悶をしばし忘れ、嬉しくなった。今夜は、彼氏の涼也と待ち合わせをしている。

会うのは一ヵ月半ぶりだ。涼也は整骨院に勤めている同い年の男子。付き合って一年になる。

とにかく優しくてお人好しなやつで、整骨院でもおじいちゃんおばあちゃんに大人気らしい。涼也の優しさには今までずいぶん救われてきた。
……待てよ?私の最低思考はくるくる回転する。

このお腹の子、涼也の子だって言えないかな?だって、正直わかんないでしょ?妊娠週数のこととか、いつしたから何ヵ月とか。

優しい涼也のことだ。『赤ちゃんできたよ!』なんて言ったら疑うことなく、『やった!結婚しよう!』ってなるに決まっている。
そういうやつなの。バカがつくくらい真面目な男!

まー、問題は猿系の涼也から、顔かたちの整った子が産まれたときのことだよね。部長、イケメンだからな……。

私が最低な考えを巡(めぐ)らせていたときだ。
「お待たせぇ。ごめんなぁ、佐波」

雑踏の中から、片手を挙げた涼也が現れた。
「涼也!」
私は嬉しくて彼に駆け寄る。そのままふたりでチェーンの居酒屋に入った。
お蕎麦(そば)も楽しめるし、店内も落ち着いているしで、よく利用するのだ。

「久しぶりやなぁ」
涼也は関西弁を話す。小さい頃、大阪にいたらしいけれど、私はエセ関西弁だと思っている。
なんか雰囲気だけっぽいんだよね。そういうところも可愛いんだけど。

「ごめんね、私が忙しかったから。もうその仕事は終わったよ!」
いつも通り焼酎を頼もうとして……いかんいかん、ジンジャーエールにします。

「佐波、あのな、会えなかった期間に俺もいろいろ考えたんや」
うんうんと頷きながら考える。
ん?もしや、この流れはプロポーズ!?会えないのはつらいから、一緒に住もうとか!?
期待で身を乗り出す私の眼前で、涼也が突然、ばっと両手をテーブルについた。

「ごめん!佐波!俺と別れてくれぇ!!」
彼は深々と頭を下げていた。

え?あれ?プロポーズは?
「……どういうこと?」

「すまん、佐波!俺、おまえと会えへん間に、お客さんと浮気してもうた!」

「っ……えー!?」

「ほんでな、その子ハルカちゃんっていうんやけど、この前の日曜日、デートやって嘘つかれて、家に連れてかれてしもうて……」
涼也はしおしおと背を丸め、泣きそうな顔で告白する。

「ご両親に挨拶するハメになったんや!こうなっては、俺がハルカちゃんをもらってやるしかないやろ?それが義理人情ってやつやないか?」
私は、はーっと盛大にため息をついた。

あー、バカだな、涼也。相手の女は、私という彼女の存在を知っていたんだ。それで先手を打ったわけよ。親に挨拶っていう、私と別れざるを得ない理由作り。これでダメなら、『子どもができたー』って言うタイプだぞ、その女。

バカな涼也。優しいから、そんなずるい性悪女に引っかかっちゃって。
……いや、性悪度合いは私も一緒か。優しい涼也に全部を背負わせちゃおうって、欠片(かけら)でも考えていたんだから。本当に最低最悪です。

「いいよ」
私は自分でも驚くほど、あっさりと言った。
「別れたげる」

「ええんか?佐波。俺はおまえにボコボコに殴られる覚悟で、今日来たんやで?」
私、男を殴るタイプじゃないだろ!心の中だけで突っ込む。

「いいよ。あんたをほったらかした私も悪いもん」
私だって後ろ暗いことがあるし、とこれまた心の中で呟く。

「ほら、お蕎麦来たよ。食べよ!」
泣きそうな涼也の肩をバンバン叩いて言った。

「佐波、ごめんなぁ。本当にごめんなぁ」

「ひとつだけ。ハルカちゃんって女、結構食わせもんだからね。あんたが捨てられないように気をつけるんだよ!」
幸せになってよ、涼也。
そう願うのが、まだ先も見えない私からの罪滅ぼしで餞別(せんべつ)だった。

 

 

涼也と別れてしまった。

あっさり別れに応じたものの、やっぱりショックは身体に響く。私は一週間、脱け殻のように過ごした。

お腹の子の問題はなにも解決していないのに、毎日やる気が起きなくて、身体は重いし、夜は起きていられないし、いろいろなことを保留しておきたい。考えるのをやめたい。

それでも週が明けて月曜日、私は産婦人科を訪れた。前回の来院から一週間と三日経っている。

待合室で本日も待ちながら思う。堕ろさなきゃ。たくさんの妊婦さんに交じって、いよいよ真剣に考える。

ここにいるたくさんの幸福な女性。この人たちは赤ちゃんが欲しくて産むんだ。

私は違う。流れでしちゃって、子どもができた。こんなやつ、産む資格ないでしょ。
それに、私には仕事がある。彼氏と別れた以上、次の彼氏だって探したい。
子どもはいらない。少なくとも今は。堕ろそう。そして、部長には黙っておこう。
いいんだ、お金のことなら。そのくらいは私の負う罰(ばつ)ってことで。

「梅原さん、三番の診察室にお入りください」
私は決意とともに立ち上がった。診察室で、おじさん先生と向かい合う。私は今までで一番、神妙な顔をしていたと思う。

「梅原さんは、まだどうするか決めてないんでしたね」

「はい」
でも、堕ろそうとは思っています。今日の内診を終えたら言おう。

「人工妊娠中絶は本院でも扱っています。母体保護法に基づいて処置します。妊娠二十二週までに処置しますが、早めをお勧めしています」

「早め……」

「二十二週ギリギリでは、人工的に陣痛を起こして胎内から出すかたちになりますからね」

まだ外で生きていけない赤ちゃんを、無理やり身体から出す。私がしようとしているのはそういうこと。大丈夫、子どもじゃないんだからわかっている。

「じゃ、診てみましょう」
私は、三度目の嫌な内診台に座った。

私が不安そうな顔をしていたからか、看護師さんがひとり、こちら側についてくれた。先生はいつもカーテンの向こうだから、今日はちょっと心強い。

台が上がり、足が開いていく。
「見えた見えた。梅原さん、モニター見て」
そう言われて、天井にくっついたモニターに目をやった。

例の黒い画面が、今日は動いている。扇状に白くぼやけた画面の右サイドにいびつな丸。これが胎嚢ってやつだ。
そして、中でチカチカ点滅しているあれは、なに?

「このチカチカ、なんだと思います?」
先生がカーテンの向こうで言った。

「なんですか?」

「赤ちゃんの心臓です」

「え!?」

「今、ドプラーで音にしてあげますからね」

おじさん先生がなにか作業をしたら、カーテンの向こうから音がし始める。
――ドッドッドッドッ。
思ったより速い。

「これが……」

「赤ちゃんの心音です。心拍が確認できましたね」

赤ちゃんの鼓動が聞こえる。
力強い音。画面で星のように瞬く命の輝き。生きているんだ。私の中で間違いなく、生きようとしているんだ。

「梅原さんの中で動きだしたこの子の心臓はね、この子の人生が終わるそのときまで動き続けるんだよ」
先生が言った。

その言葉で、私の両目から堰(せき)を切ったように涙が溢れだした。
生きている。この子は生きている。
ダメだ。私にこの子は殺せない。
私の勝手でできたのに、この子はきちんと自分の人生を生きようとしている。
殺せないよ。

泣きじゃくる私に、看護師さんがティッシュを渡してくれる。
「まだ時間があるから、もう少し考えたらどうかしら?」
彼女の言葉に、私は頷いた。

頭の中でいつまでも赤ちゃんの心音が鳴り響いていた。

 

「ご懐妊!!3~愛は続くよ、どこまでも~」はコチラから

 

この記事のキュレーター

砂川雨路

新潟県出身、東京都在住。著書に、『クールな御曹司の本性は、溺甘オオカミでした』(ベリーズ文庫)『僕らの空は群青色』『ご懐妊‼』(スターツ出版文庫)などがある。現在、小説サイト『Berry’s Cafe』『ノベマ!』にて執筆活動中。


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