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山﨑夕貴さん 妊活振り返りインタビュー「働きながら不妊治療を続けるのは本当に大変」
妊娠発表後に、実は不妊治療をしていたことを公表したフジテレビアナウンサーの山﨑夕貴さん。
「不妊治療について堂々と言えない雰囲気がなくなれば」と、自身の経験を発信することを決意したといいます。約5年間にわたる不妊治療の経緯や当時の想い、今だから話せる苦悩や葛藤を率直に語っていただきました。
山﨑夕貴さんの妊活振り返りインタビュー。今回お届けする<前編>では、結婚から妊活スタート、体外受精へステップアップした、当時のお話しを妊活たまごクラブがお聞きしました。
妊活振り返りインタビュー・山﨑夕貴さん #1
※参考:「妊活たまごクラブ 初めての不妊治療クリニックガイド 2023-2024」
30才で結婚し軽い気持ちで妊活開始
飾らない自然体の明るい笑顔が印象的な山﨑夕貴さん。2010年にフジテレビに入社し、アナウンサーとして情報番組などを中心に活躍してきました。20代の頃は仕事に邁進。将来の子どものことはおろか、結婚すら考えたことがなかったといいます。
「私は岡山出身。大学卒業まで岡山を離れたことがなく、就職を機に上京しました。岡山にいた頃は何となく『20代で結婚して、出産して…』というイメージを持っていたのですが、上京すると毎日が刺激的で楽しくて、仕事もやりがいがあって。結婚なんて、もうすっかり忘れてしまっていました。もともと自己肯定感が高いほうではないので、自分が親になる想像がつかないし、立派な子に育てる自信もないし。そもそも結婚願望もあまりなかったから、子どものことなんて先のまた先、という感じでした」
転機が訪れたのは30才のとき。朝の人気情報番組「情報プレゼンターとくダネ!」のキャスター就任が決まったことでした。
「朝の生放送番組なので私はこれから早朝生活になるし、交際していた彼・おばたのお兄さんは芸人で、夜に仕事が入ることが多い。『すれ違い生活になっちゃうな。このままだと別れるかもしれない』と思ったのと同時に、『この人と別れたくないから、一緒にいる時間を確保するためにはどうしよう』とも。そこで突然、“結婚”という話が降って湧きました」
恋人や親から飛び出した“結婚”というワード。受け入れるのにはちょっとばかり時間がかかったそう。
「今が幸せなのに、結婚して環境が変わって後悔したらどうしようって。でも、私が不安になっているなかで彼がプロポーズしてくれたとき、1%の不安もなく100%うれしいと思えたんです。『この人とずっと一緒にいたい』という自分の気持ちに改めて気がついて、結婚に踏み出せました」
夫となったおばたのお兄さんは4人きょうだい。甥っ子たちをかわいがる姿を見て「本当に子どもが好きなんだな」と感じていました。
「結婚する際、子どもについて具体的な話はしなかったけれど、いつか子どもを持つだろうとは思っていました」
結婚後は互いに忙しい日々を送りながら、ゆるっと妊活をスタート。
「30才を過ぎていたこともあり、最初は『ちょっと今月、タイミング法にトライしてみようかな』くらいの軽い気持ちでした。私は心配性で、結婚前から婦人科で検診を受けたりしていたんです。その婦人科に通いながら、あまり深く考えずに妊活をしていたのですが、3年ほど経っても授からない。そんなとき『とくダネ!』への出演が終了。仕事が落ち着いたことで初めて自分自身のことを考える余裕ができました。精神的にも体力的にも余裕のある今こそと、本格的に不妊治療を始めることにしたんです」
タイミング法にトライしたけれど、なかなか授からない─。「私は妊娠しにくいかも」と覚悟を決めて不妊治療専門クリニックへ
このとき33才。約3年間の妊活で授からなかったことから、「妊娠しにくいかも」ということは自分でも何となくわかっていました。
「『そろそろ排卵誘発剤を使ってみる?』と婦人科の先生に言われたとき、それならば不妊治療専門クリニックに行きたいと思いました。費用と時間の問題もあったから。そこで初めて不妊治療クリニックを調べて、足を運びました」
最初に検査を受けて、まずはタイミング法から。
「先生には『なるべく早く進めたい』と伝えました。正直、タイミング法にはほとんど期待していなかったので、私としては早めに人工授精に進みたかったんです。だから『そろそろステップアップしてもいいし、しなくてもいい』と言われたときには『すぐにステップアップします!』。人工授精にトライすることになりました」
人工授精を経て体外受精へ
しかし、人工授精を数回行っても妊娠には至りませんでした。
「人工授精の前に夫が精液検査を受けましたが、結果がいいときと悪いときで大きな差がありました。風邪をひいて38度の熱が出たりすると、検査結果が悪くて…。せっかく排卵誘発剤を使ってまで人工授精に臨んでいるのに、夫の状態によって『今日はできません』ではガクッときちゃう。この時間やお金がもったいない、だったら確率の高い体外受精に早く進みたい。そんな想いで、さらなるステップアップを決意しました」
体外受精に進むと、不妊の原因を探る検査も増えます。受けた子宮内フローラ検査で、山﨑さんは思いもよらない結果を告げられました。
「子宮内に90%以上いると妊娠しやすいという善玉菌が、私は0.00%に近い数値で、子宮の環境が最悪だということがわかったんです。体外受精の成功率を高めるための準備期間として数カ月を要しました」
さすがにこのときは心が折れかけた、と山﨑さん。
「『妊娠できないかも』と突きつけられたように感じて、絶望しました。私に問題がなければ妊娠できたかもしれないのに。私のせいでお金と時間が余計にかかってしまう…。思わず夫に謝っちゃいました。『そんなこと、気にする必要ないよ』と言ってくれることはわかっていたけれど、やっぱり申し訳ないという気持ちが拭えなくて。そういう絶望期と、『頑張ろう』と持ち直す時期と、不妊治療中は精神面に激しい波がありました」
何度か検査を繰り返し、医師のアドバイスを受けながら子宮の環境を改善する治療を行いました。
実は途中で一度、夫から「そろそろ卵を戻してみてもいいんじゃない?」と提案されたそう。でも山﨑さんは「確率を上げてから戻したい。検査結果がよくなるまで頑張る」と粘りました。
「理由は、もう採卵したくなかったから。自己注射はそんなにつらくはなかったんです。でも採卵をする日がいつかで予定が全部変わってしまう…。仕事をしながら採卵するのが精神的にしんどくて、できれば採卵1回で、採れた個数内で妊娠できたらいいなと思っていました」
治療の甲斐あって、数値は少しずつ改善。「これなら戻せる」、ついに体外受精にトライすることに。
「この1回目の体外受精で妊娠しましたが、流産してしまいました」
流産の手術では麻酔の効きが悪かったため、麻酔を追加することに。そのせいか当日はひどい吐き気に襲われ、歩けないほどでした。さらに「もしまた流産してしまったら」という不安から、一度は立ち止まりそうにも…。
「でも、卵がまだ残っていたんです。可能性のある卵たちをずっとそのままにはしておけない。少なくとも、今ある卵がなくなるまではチャレンジしたい―。そんな想いで、治療を続けることを決断しました」
再び前を向いて、歩き出した山﨑さん。その後、2回目の体外受精で妊娠が判明しました。
「今、妊娠8カ月で、夏に出産予定。でも正直、『やったー♪』みたいな感じじゃないんです。一度目のときは『やっと妊娠できた』という喜びがありましたが、二度目の今回は『私が命を産んで、その命を繋ぎ止められるのだろうか』という不安が大きくて。ちょっと心配しすぎかもしれませんけどね。生まれたらようやく喜べるかなと思うので、今はその瞬間を楽しみにしています」
山﨑夕貴さんのインタビュー<後編>では、夫のお笑い芸人・おばたのお兄さんとのお話しや、また最も大変だったという「仕事と不妊治療の両立」についてお聞きしました。
ぜひ、ご覧ください!
●山﨑夕貴さんの妊活STORY
30才●結婚
お笑い芸人・おばたのお兄さんと結婚。
婦人科に通いながら、タイミング法で妊活スタート。
33才●不妊治療専門クリニックへ
「妊娠しにくいかも」と思い、不妊治療専門クリニックへ。
何度か人工授精にトライするも、授からず…。
34才●体外受精にステップアップ
子宮の環境を改善する治療を行った後、体外受精にトライ。
1回目の体外受精で妊娠したが、流産。
35才●2回目の体外受精で妊娠
第1子妊娠を発表。2023年7月から産休に。
●山﨑夕貴(やまさき ゆき) Profile
1987年、岡山県生まれ。岡山大学経済学部卒業。2010年、フジテレビに入社し、アナウンサーに。「めざましテレビ」「ノンストップ!」「情報プレゼンターとくダネ!」などの情報番組でキャスターを務め、明るいキャラクターで人気を集める。18年、お笑い芸人のおばたのお兄さんと結婚。2023年3月、自身がキャスターを務める番組「Mr.サンデー」にて第1子妊娠を報告。
●撮影/Hananojyo
●スタイリスト/奥崎千裕
●構成・文/本木頼子
※インタビューは2023年6月14日に行いました。
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