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友利新「出産の特別なストーリーを心に焼き付けて欲しい(私の出産体験)」 〜Dr.友利のなんくるないさ Vol.6〜
2014年7月に第1子となる男児を出産し、2016年の8月末に第2子を出産予定という友利新さんですが、実は30歳を過ぎるまでは、妊娠・出産についてまともに向き合ったことがなかったそうです。36歳で出産を迎えるまでには、紆余曲折があり、「なんくるないさ」(沖縄方言で、なんとかなるさ)の精神で乗り越えてきた友利さんに、妊娠・出産や子育て、家族の絆などについて語っていただきました。
6回目となる今回は、友利さんご自身の出産経験のお話と、出産に関する心構えのアドバイスについて伺いました。
産休初日に産気づくという、ドタバタ劇で幕開け!
今回は、第1子の出産のお話を思い返しながらしてみたいと思います。
ひとことで言えば、私の初産は、まさに“ドタバタ”でした(笑)。出産予定日は7月の半ば頃だったかと思いますが、私が産気づいたのは、7月1日とけっこう早かったんです。出産前の仕事が6月末で終わったばかりで、その1週間前までは普通に撮影などの仕事もこなしていたといった感じです。
ようやく、出産に向けて休暇に入った7月1日。休みの初日ということもあって、ランチがしたいということで、主人と一緒に銀座でランチをしていたんですね。そうしたら、何だかお腹が痛くなってきたので、「お腹が痛いんだけど」と言うと、「気のせいじゃない?」と主人。 予定日はまだ先だし、確かに気のせいかも、と思って、食事を終えてからセールで買い物しようなどと悠長なことを考えていました。それでも、やっぱり、お腹が痛いので、帰宅する途中で病院に寄ってみたら、「もう子宮口が開いてます!このまますぐに入院してください!!」と言われて、「えー!?」と、本当にビックリでした(笑)。
病院の待合室にいた人たちから「この人、何やってんの?」って感じで見られていましたし、なんだか、恥ずかしくて恥ずかしくて……。病院に着いたときには、もう子宮口が3〜4㎝くらい開いていたそうです。お腹が痛いと感じていたのは、実はもう、陣痛だったんです。
まさか、産休に入った初日に産気づくなんて思ってもいなかったので、そういう意味ではかなりドタバタですよね(笑)。 そのまま、言われるがままに入院して、翌日の夕方5時に出産ということになりました。
極めて冷静に捉えていた出産
入院の準備だけは、ある程度していたのですが、「まさか!」という感じでビックリでしたが、「まあ、これも運命なのかな?」と考えて、心を落ち着かせようとするので精一杯でした。
今、振り返ってみれば、すでに正産期に入っていたのでいつ生まれてもおかしくない時期であったわけですし、特に初産というのは、誰もがそんなものなのかもしれないですね。 私自身も、いつ産気づくのかと不安になるよりは、「子どもが出てきたい時に出てくるんだろうから、なんくるないさ〜」というふうに考えていましたから、すぐに心の切り替えができたのかもしれません。
ただ、ひと言言えば、出産までにもうちょっと主人とゆっくりランチをしたかったなあっていう(笑)。それは、私のワガママですが……。
ちなみに、出産に主人は立ち会いませんでした。というのも、私が立ち会って欲しくないと思っていたからです。なぜかいうと、私自身が研修医時代に出産の現場を何度も見てきているので、その大変さを知っていたからです。
産気づいてから出産までにはかなりの時間がかかるので、主人がずっと立ち会うのは大変ですから、それよりは、産まれてからいろいろやって欲しいことがあったのです。 さらに、ウチの主人は、ホントに血が苦手なんですよ(笑)。この件に関しては、ちょっとうっとしいくらいに怯えて「ギャー!」とか言います。 私が出産で必死になって苦しんでいるところで絶叫されると、イラついてしまうだろうな、っていうのもありました(笑)。
私は医師という立場でたくさん、現場を見てきたので、自分の出産に関しては、現実的な部分でしか捉えていなくて、ファンタジー的なことはほとんど想像もしていませんでした。 だからこそ、主人が立ち会ってくれたところで何も変わらないだろうと。 これは医者である私の独特の考え方だと思うので、みなさんにオススメするわけではありませんが、その分、主人には、産まれてからシッカリとサポートしてもらいたいと思っていたのです。
「身体に産ませられる!?」といった不思議な経験
医師という立場ではあるので、他のママさんたちよりは、出産に関しては、冷静に立ち向かっていったつもりでした。しかし、やっぱり、現場で見てきたことと、実際に自分が経験するのとでは違いますね(笑)。
すでに出産を経験したママさんたちからは笑われてしまうかもしれませんが、出産って、想像していた以上に痛い、それも、ビックリするくらい痛いんだなあと思いました(笑)。 なんて言うのでしょうか、ひと仕事を終えるという感覚どころか……、フルマラソンを2回くらい走り続けたんじゃないかっていうくらい疲れた、というのが実感です。
でも、出産を終えて赤ちゃんが出てきた途端に、その苦しみや痛みが不思議なくらいスッと消えるんです。 普通は、怪我をしてしまうと、ずっと痛いじゃないですか。 ところが、出産の時の痛みというのは、出産と同時に「あれ?今までの痛みはいったい何だったんだろう?」っていうくらい、嘘のように消えるんです。「あれれれ?」みたいな……。
これは、今、思い返しても不思議なのですが、自分で頑張って産むというよりも、“身体に産ませられる”といった感覚なんです。 自分で頑張るというよりは、勝手に身体が動いて頑張らされる感じで、イキむことしか、できなくなるんですよね。そして、産み終わると、その痛みをすぐに忘れてしまいます。「そういえば、さっきまで痛かったような気がする」といった感じ。
少し時が経つと、もう、ほとんどその痛みを覚えていないというか。 たぶん、この感覚は、出産を経験した女性にしかわからない、本当に不思議な感覚だと思います。たぶん、女性の身体や脳の構造が、次の出産に向かえるようになっているのかもしれないですね。
恥ずかしながら、超号泣してしまった初産
先ほども言いましたが、研修医時代は、いろんな現場を研修として回るので、出産の現場も数多くみてきました。 私は女子医大だったので、研修医は全員が女性です。 出産の現場に立ち会うと、みんな涙ぐんで感動しているのですが、私だけどこか冷めて見ていて、感動するというわけでもなく、「こんなに壮絶なんだ!」と客観的に見ていたのを覚えています。
そんな私でしたが、実際に自分が経験してみると、もう、号泣ですよ。正直に言いますが、恥ずかしながら、本当に超号泣!(笑)。自分が出産して泣くなんてまったく思ってもいなかったのですが、やはり、ずっとお腹のなかにいたわが子を見た瞬間に……、なんとも表現し難い感情が溢れ出してきました。 その時は、自分が泣いているということにさえ、気づかないほど、ものすごく感動的な瞬間でした。
あんなに出産に関しては冷静だったのに、「どうしたの?」って感じで主人がビックリしていました。私のなかでのイメージでは、主人が感動して泣いて、私がなだめるハズだったのですが(笑)、「あれ?アラタちゃんが泣いてる」と逆に主人が冷静になってしまっていて、私が号泣でした。 どんなに、冷静に捉えていたとしても、出産というのは、涙が自然に溢れるものなんですね。 「ああ、この子がこうやって産まれてきてくれたんだ」とか、「元気に泣いている」などと思うと、涙が溢れ出る。 やはり、母性と言いますか、女性としての本能が女性の身体にはシッカリと組み込まれているんだなあ、ということを実感した瞬間でした。
それぞれの特別なストーリーを大切に
自分自身が出産を経験してみて思うことは、出産というものを過度に美化する必要はないと思うのですが、それでもやっぱり、その人、その人それぞれに出産のストーリーがあると思うんですよね。 自然分娩を強く望んでいたのに、緊急事態になって帝王切開になったりする人もいるでしょうし、何時間も耐えて大変だったという人もいれば、短時間でポンと産まれるような安産だったという人もいる。
これは、出産を経験して母親になったその人それぞれに与えられる、特別な経験なんだと思います。それぞれに出産にまつわる、特別なストーリーができあがるのです。そして、その特別なストーリーを後で振り返って、「ああ、私がこうだったなあ」って振り返りつつ、いろんな想いを巡らせるだけで、本当に幸せを感じることができるのだと思います。
だから、あんまり「こうしなきゃいけない!」などと考えすぎる必要はないですよ、ということを、これから出産を控える女性に言いたいですね。 それぞれの特別なストーリーのなかには、必ず、これまでには経験したことのない感動があるハズです。その時の感動を、それぞれの心のなかにシッカリと焼き付けておいていただきたいと、私は思います。
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